2021年2月、月イチの呼吸器内科受診時のこと。
主治医が「僕、この病院辞めることになったんで。来月からは◯◯先生が担当します」とおっしゃいました。
突然のことで一瞬、時が止まったような感覚に陥りました…
4年以上お世話になった先生
2016年に肺腺がんステージ3Bと診断され、当初は分子標的薬での延命治療と言われていたのに、陽子線治療が受けられたのは主治医のおかげです。
放射線治療で根治を目指せるとおっしゃってくれて、陽子線治療が出来る病院に気前よく紹介状を書いてくれました。
脳転移が判明し、ガンマナイフ治療が出来るか調べるための腰椎穿刺検査を受けた時には、わざわざ脳外科まで様子を見に来てくれました。
経過観察中に肺内転移が見つかっても、すぐに当時使える分子標的薬での治療をスタートせず、タグリッソファーストライン承認まで待てたのも、主治医がこの先生だったからではないかと思っています。
タグリッソを始めてからは、毎月レントゲンと血液検査をして薬を処方してもらう、というルーティンを繰り返すだけで、特別な出来事はありませんでした。
それでもやはり、自分の病歴を始めから知っている先生がいなくなってしまうというのは、少なからずショックです。
頭ン中ぐるぐる
一瞬ポカーンとしている間に、頭の中ではものすごくいろんなことを考えていました。
- 「ウソっそんなの嫌です!」って泣くか
- 「私、先生のいる病院に転院します!ついていきます!」ってすがるか
- そんなマンガやドラマみたいなセリフ言っちゃう?…イヤ無理無理ご迷惑でしょ
- そもそもこの先ずっとこの先生じゃなきゃダメなんだろうか私は
- フツーに「そうですか、残念です」くらいにとどめとくか
- ってかどういう事態?引き抜き?栄転?開業?おめでたい感じ?それとも逆?
- えっなんて言ったらいいんだろ
- ……
- ……
そしてやっと絞り出した言葉は「別の病院に行かれるんですか?」でした。
大人のお別れ
先生がその質問には「ン〜…」と言葉を濁したため、それ以上追求せず、こちらの複雑な心中を表に出すこともなく、いつも通り処方箋を貰って診察終了。
「長い間、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。どうかお元気で…」
深く頭を下げて診察室を出ました。
この時先生からは、最後になんと声をかけてもらったのか思い出せません。
自覚はなかったけれど、かなり動揺していたんだと思います。
周囲がどんどん変化していくのに自分だけが取り残されているような気分になりつつ、「強者でも賢者でもなく、変化に対応できるものが生き残る」的なこと言ったの誰だっけ…などと、またぐるぐる考えながら帰路についたのでした。
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