2016年5〜6月 治療開始までの心境を振り返る

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腫瘍の正体がわかるまで

2016年5月上旬に、健康診断で左肺に3cm大の腫瘍があることがわかったわけですが、2週間後にがん専門病院に行くまでの間が最も精神的にきつかった記憶があります。

まずがんかもしれない衝撃で頭が真っ白になり、なんとか状況を飲み込んでも、「なにかの間違いじゃないか」「腫瘍といっても良性なんじゃないか」そんな都合のいい考えばかりがぐるぐる頭の中を回っていました。

「どうしてこんなことに」「なんで私が」「あの時ああしていれば」というような、怒りや後悔という感情は不思議とわいてきませんでした。

夜ふかしや暴飲暴食などの「不摂生をする」という選択を都度してきた自覚はありますが、それが病気の原因かどうかなんて本当のところわからないし、過ぎたことをクヨクヨしてもしょうがないと思ったのです。

それでも「がん」という病気に対して無知すぎて、大きな不安に包まれていたのも事実。

寝ている間だけは病気のことを忘れていられるので、いつまでも眠っていたかった。

目が覚めるとズシーンと「がんかもしれないんだ…」という重苦しい気持ちが蘇ってきます。

PET-CTを経て

確定診断が出るまではわからないぞ!と一縷の望みにすがっていましたが、PET-CTの画像を見たときに、「もうがんであることを否定できないな」とはっきり悟りました。

もう腫瘍がない自分には戻れない。じゃあどうする?

そんなふうに、気持ちが切り替わった瞬間でした。

確定診断後、治療開始まで

気管支鏡検査でがんの種別が判明し、確定診断が下りました。

このときにはすでに宣告を受け入れる心の準備ができていて、延命治療と聞いてもそれほど動揺はありませんでした。

でもやっぱり死そのものや死に至る過程の苦しみが怖くて、何度か泣いたりしたことも。

夫に対しても、経済的負担をかけることや、遺して先にいくことになることを思うと申し訳なくて…。

それでも心が「受容」というプロセスに来たのか、重苦しい気持ちになることは減り、病気についてもっと知りたい!という知識欲がムクムクとわいてきました。

治療の選択肢、効果や副作用、がん患者さんのブログ、患者会、調べても調べてももっと知りたいことばかりで、暇さえあればネットで検索しまくり、本屋を何軒も回りました。

なぜそんなに知識を得たかったのか…?

それは、

自分で決める

そのための判断材料が欲しかったのです。

どんな治療を選び、何を食べ、どう過ごすか。選ぶのは自分だから。

がん関係の本にもよく「自分で決める」ことの重要性が出てきますが、それほんとに大事だと思います。がんに限らず。

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